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農奴への道 2(two)

The Road to Serfdom 2

日本の場合
(c)今西春樹



目次

一、はじめに
   はじめに

二、導入
   導入
   使用するテキスト

三、マルクス主義は麻疹[はしか]のようなものである、と言われていた
   ほとんどのリーダーたちの思想は社会主義と関連を持っていた
   当時の知識人の世界認識
   日独伊ソ四国同盟
   国内新体制と、大東亜共栄圏が目指すもの

四、本来の右翼より過激だった転向右翼
   あなたは「転向右翼」という言葉を知っていますか?
   共同研究「転向」
   全ての社会主義国は「転向」する
   転向しても社会主義を目指すことは変わらない
   全員で戦争をしていたのだ!
   『知識人の新聞』は最も過激であった
   戦争を起こした人たち

五、全ては現場責任に転嫁された
   従軍慰安婦問題の発信源
   彼らは何から人々の目をそらせようとしているのか?

六、ハイエクに帰らなければならない
   ハイエクに帰らなければならない




一、はじめに


米国の下院外交委員会において、慰安婦問題に関して日本の首相に謝罪を求めるという決議案が採択されました。

私は、採択は不当なものであると考えている者です。

しかしながら、このような問題が浮上する背景には、先の大戦に関しての多くの誤解が存在すると思っています。米国の側においても…、日本の側においても…、その他の関係する人々の間においても…。

ここで展開する議論は、私が二十年ほど前から疑問に思って、先の大戦の起こった原因について考えていたテーマに関するものです。この問題は広く複雑なものであるので、いまだ問題を探求している最中でありますが、専門家でもない者の研究では一生かけてもまとめ上げることは不可能であることを感じていました。しかし今、慰安婦決議が提起されたことを機会として、その大筋をまとめておく事は、決して無駄なことにはならないと思いましたので、ここにまとめておくこととしました。

おそらく、米国においてこのような議論がなされる背景には、米国の友人たち(自由の友人たち)の中には『本当のことを知りたい』とする強い思いが有って、その思いが日本人に向って、その本音を出すよう促しているのであると感じています。そして私が、ここで展開する証言は、友人たちに、本当に起こったことの実の姿を示すものであると信じています。




二、導入


初めに、次の広告をご覧ください。

『資本論』の広告

この広告は『改造』という月刊雑誌の一九三一年六月号に載っていたものです。

雑誌の名前KAI・ZOUとは『Re-Creation』という意味で、ほぼ間違いなく社会主義による社会改革を意味します。

その雑誌は、また『知識人の雑誌』と呼ばれていました。

広告の主要部分を取り出して見ます。


資本論

資本論の生命は万古不易なり

資本論の価値が、今日ほど強く、時代において痛感された事はない。
それは、社会主義が論議の域を離れて、最大の現実的勢力と化したからであり、一切が歴史世界の正しい認識の鏡にかけて、再批判せられねばならぬからである。


上に示すように、この時代、社会主義は圧倒的な勢力を持ち、知識人たちはさらに一層徹底して社会主義による社会改造を目指していたことが分かります。

一体、日本において何が起きていたのでしょうか?
真珠湾攻撃の丁度十年前のことです。


この小論では、ハイエク教授の『農奴への道(The Road to Serfdom(Condenced Version))』
【※主要文献】に書かれている内容の鏡に照らして、日本が戦争を起こした原因について調べてみます。

『農奴への道(The Road to Serfdom(Condenced Version))』の序文でウォルター・ウィリアムズは以下のように述べています。

『農奴への道』の焦点は、ナチズムがなぜ立ち上がってきたかについての説明を提供することであって、それは、ナチズムが、ドイツ人特有の欠陥によって引き起こされたという一般に普及し、しかも間違った見解を修正するものでした。
A focal point of The Road to Serfdom was to offer an explanation for the rise of Nazism, to correct the popular and erroneous view that it was caused by a character defect of the German people.


この小論は、先の大戦が日本人特有の欠陥によって引き起こされたという一般に普及し、しかも間違った見解を修正しようとするものです。


使用するテキスト

いくつかのテキストを引用しますが、多くは単に資料として引用します。
しかし、以下のテキストは、この議論の理論的基礎を提供するものですので、特に読者の注意を喚起するために明示しておくことにします。

【主要文献】

①農奴への道  付・知識人と社会主義(The Road to Serfdom (Condenced Version) with The Intellectuals and Socialism)

ハイエク教授の本で、農奴への道(The Road to Serfdom)はリーダーズ・ダイジェストの縮約版になっています。
ロンドンのIEA (The Institute of Economic Affairs)より出版されています。

The Road to Serfdom(condenced version


②戦争と共産主義(一九五〇年三月)

この本は、一九三〇年頃から大戦に至る時期における日本の共産主義運動についての報告です。三田村武夫という人によって書かれました。現在『大東亜戦争とスターリンの謀略』という書名で自由社から出版されています。
この本の題名は、何かハイエク全集の第十巻『社会主義と戦争(Socialism and War)』を思い起こさせるものがあります。

この本は、アメリカの占領下に検閲によって出版禁止になっています。しかし、それはこの本の価値を貶めるものではありません。ハイエク教授の『農奴への道』もドイツの占領下においては出版禁止になっていました。

戦争と共産主義(スターリンの謀略)


3.月間誌『改造』

私は、『資本論』の広告を、この1931年6月号から得ました。

改造




三、マルクス主義は麻疹[はしか]のようなものである、と言われていた


ほとんどのリーダーたちの思想は社会主義と関連を持っていた

しかし、これらの動きを起こした、ムッソリーニから後代に至る(ラバルとキスリングも含まれる)リーダーたちは、社会主義者として始まりながら、ファシストあるいはナチとして終わったということは非常に重要なことなのです。(ハイエク:農奴への道)
Yet it is significant that many of the leaders of these movements,Only from Mussolini down (and including Laval and Quisling) began as socialists and ended as fascists or Nazis.
Hayek - The Road to Serfdom p.40

・東京裁判でA級戦犯となった国粋主義の理論的指導者、大川周明は若き社会主義者として始まりました。

・日本のファシズムの理論的指導者で『国家改造法案大綱』を書いた北一輝は社会主義者でした。

・やはり東京裁判でA級戦犯となり、戦争の道へ踏み出す大政翼賛会を創立し、日独伊三国同盟を締結した近衛文麿の重要なブレーンには、三木清・蝋山政道などの社会主義者がいました。

・また、近衛文麿のブレーンには、尾崎秀美というゾルゲスパイ団の一員もいました。ゾルゲスパイ団は日独伊三国同盟の締結に向けた大きな働きかけをしています。

・社会大衆党(戦後、日本社会党に合流)は、『広義国防』を掲げてあの戦争を支持していたのです。(坂野潤治…昭和史の決定的瞬間…ちくま新書二〇〇四年二月)

・満州事変を引き起こした石原莞爾は、マルクス・レーニン・スターリンを非常に尊敬していました。(白土みどり著:世界最終戦論:邦文社 昭和四十六年)

・革新官僚と呼ばれる、戦時体制を作り出した官僚たちもいます。彼らも同様に社会主義に基づく改革を目指していました。

・満州の経営に重要な役割を果たした満鉄調査部には、転向したマルクス主義者が沢山入り込んでいたという報告もあります。(西澤泰彦:図説・満鉄:河出書房新社 2000年)

彼らは、決して支配欲や、名誉欲や、金銭欲のために社会主義を選んだのではありません。むしろ、そのような穢れた欲を拒絶して、決して貧困に苦しむ人のいない・階級のない・自由・平等・博愛の世界を求めて社会主義を選択したのです。しかしながら同時に、そうするためには「この現代世界を根底より覆す」必要があることも、はっきりと自覚していました。

彼自身の分野においては社会主義を「有害なたわごと」だとして非難する実務的な男が、しかし、彼が彼の主題の外に踏み出したときには、左翼ジャーナリストのように社会主義をとうとうと喋るということを誰が知らないでいるでしょう?(ハイエク:知識人と社会主義)
Who does not know the practical man who in his own field denounces socialism as 'pernicious rot' but, when he steps outside his subject, spouts socialism like any Left journalist?
Hayek - Intellexcuals and Socialism p.112

・革新官僚であった岸信介は、マルクス主義と真っ向から対立する立場にいました。しかし、彼はその当時「私有財産制というものを維持しようという考えはなかった(原鈴久:岸信介:岩波新書 1995年)」のです。

・あの戦争の時代の人ではありませんが、作家の三島由紀夫は共産主義に対抗して「文化防衛論」を著しました。その中で彼は「天皇と私有財産とを同一に並べている治安維持法は不敬である」として非難しています。また彼の小説「奔馬」の主人公は、汚れた豚のような資本家を殺すテロリストとして描かれます。

財産権は大日本帝国憲法下では、臣民の持つ重要な権利です。彼は東京帝国大学の法学部を卒業したにもかかわらず、私有財産に対する嫌悪感を持っていました。共産主義に反対したにもかかわらず、…。

私は大正デモクラシーの頃に大学生だった人の本で見たのですが、その当時「マルクス主義は麻疹[はしか]のようなものである」と言われていたということです。つまり、大学生のほとんど全てはマルクス主義にとりつかれて熱病を病んだようになった。そして「マルクス主義にかぶれない人は、かえって人格的におかしい人のように考えられていた」のです。また、「しばらくすると熱病は止んで、ケロリと治った」のも麻疹[はしか]と言われる理由だったのかもしれません。


戦前の昭和時代についての研究『昭和期日本の構造:筒井清忠:講談社学術文庫』には、一九二〇年代に活躍した思想団体の特徴について、次のような興味深い図が載っています。

思想団体アナキズムマルクス主義超国家主義社会民主主義陸軍総力戦派革新官僚
一君万民主義  
総力戦思想   
社会主義 

図を見ると、ほとんどの思想集団は『社会主義』に根ざしていることが分かります。(陸軍総力戦派は陸軍の上級官です。当時は軍人は政治問題に関わってはならないとされているので、社会主義思想を持つことは出来ませんでした。しかし二・二六事件を起こした青年将校たちは、社会主義による国家改造をめざしていましたから、その本では超国家主義に分類されています)

この図には、社会の動静に大きな影響を及ぼすハイエクの言う知識人は裏に隠れていて見えません。しかし、社会主義の圧倒的影響から見て、彼らはほとんど全て社会主義者か、または社会主義のシンパであったことは推測できます。つまり、マスコミや教師たちは、図のマルクス主義、社会民主主義・革新官僚を裏で支えていた者たちであったと思われます。

社会主義に向かう方向をとったすべての国において、社会主義が政治に決定的な影響を与える時期に先立って、何年ものあいだ社会主義者たちのアイデアが、より活発な知識人たちの考えを支配していた段階が存在しています。ドイツにおいては前世紀(十九世紀)の終わりに向かう時期にこの段階に到達し、英国とフランスにおいては第一次世界大戦の時期ごろに到達しました。

経験によれば、この段階に到達した途端に、もはや知識人によって持たれた見解が政治を支配する力となるのは、単に時間の問題だけなのであるということを示唆しています。(ハイエク:知識人と社会主義)
In every country that has moved toward socialism, the phase of the development in which socialism becomes a determining influence on politics has been preceded for many years by a period during which socialist ideals governed the thinking of the more active intellectuals. In Germany this stage had been reached towards the end of the last century; in England and France, about the time of the First World War.
--
Experience suggests that, once this phase has been reached, it is merely a question of time until the views now held by the intellectuals become the governing force of politics.
Hayek - Intellectuals and Socialism - p.106)

日本においては、大川周明が社会主義に取り付かれていた時代が、知識人階級に徐々に社会主義が浸透し始めた時代だったのではないでしょうか?(大川周明の東京帝国大学入学が一九〇七年)

一九一七年にロシア革命が起きます。

そして、一九二〇年ごろから学生運動・労働運動等で、社会主義運動が実践の段階に入っていきます。真珠湾攻撃の二〇年ほど前に相当します。

「戦争と共産主義」には、次のような重要な考察が書かれています。

即ち大正十二、三年頃から昭和四、五年頃までに二十歳から二十四、五歳位の年齢でマルクス主義の洗礼を受け実社会に出たインテリ・マルクス主義者が、昭和十二、三年即ち日華事変勃発の前後から三十四、五歳ないし四十歳前後の年齢に達し、政府官庁の中堅層を占め、民間諸機関の第一線に活躍していたならば、後に述べるごとく、現状打破、革新、資本主義打倒、進歩的政策などのスローガンに呼応して…(八六頁)

一九二五年ごろに二十から三十であった人は、一九四〇年には三十五から四十五に達します。また、特に知識人について考えますと、社会主義が知識人たちの考えを独占し始めたのはそれの十年前(大川周明の時代)と思われますので、五十五歳に至るまでの知識人たちは何らかの形の社会主義礼賛者であったと思われます。

しかもその間、社会主義以外の選択肢はなかったのですから、その後に大学に入った人々も社会主義の熱にうかされたことと思われます。つまり、第一線に活躍する人々のほとんど全てが、その人々で占められたことになります。重要なことは、大学を卒業して行く人々は、ほとんど全て社会を指導する立場に立ったということです。

彼らは、新聞記者、放送関係者、大学教授、教師、政治家、上級官僚、公務員、作家、芸術家、大会社の重役たちとなりました。

そのようにして、日本を指導するほとんど大部分の人々(二十代から五十代までの指導者たち)が社会主義の洗礼を受けた人々で占められたとき、あの戦争が起きているのです。

そして半世紀以上の間、社会の開発の明示的なプログラムのようなものを提供したり、彼らが目指すところの未来社会の写真を提供したり、特定の問題を決定するためのガイドとなる一般的な原則のセットを提供した者は、社会主義者たちだけでした。(ハイエク:知識人と社会主義)
Thus for something over half a century it has been only the socialists who have offered anything like an explicit programme of social development, a picture of the future society at which they were aiming, and a set of general principles to guide decisions on particular issues.
Hayek - Intellectuals and Socialism - p.106)

このハイエクの文章が示すと同様に、その時、日本の指導者たちのほとんどは、社会主義を現今の困難を解決する唯一の方法と考えていました。


当時の知識人の世界認識

近代的な世界においては、国際社会へのほとんど唯一アプローチを提供するものは知識人であるという高度に重要な事実の、原因と、重大な意味を追跡することは、この論文の限度をはるか遠く越えるものとなるでしょう。(ハイエク:知識人と社会主義)
It would go far beyond the limits of this article to trace the causes and significance of the highly important fact that in the modern world the intellectuals provide almost the only approach to an international community.
Hayek - Intellectuals and Socialism - p.112-113)

 軍人は軍事的な問題に関しては精通しているかもしれませんが、国際社会に関してどのような立場で臨むべきかについての情報、また来るべき未来社会を見通してどのように行動すべきかを決定する情報は、知識人から得るしかありません。

 日本の知識人は、どのように世界情勢を認識し、どのような未来社会を構想していたのでしょうか?東京帝国大学を卒業し、朝日新聞社に入社し、傑出した中国評論家として近衛文麿のブレーンとなり、開戦の直前にスパイ容疑で検挙された尾崎秀実の手記の中からいくつかを見てみます。(戦争と共産主義より)

次に起きる戦争は、米英を巻き込んだ世界最終戦争に近いものとなり、必ずや世界変革をもたらして、世界共産主義革命が完全に成就しないまでも決定的な段階に達する。

帝国主義政策の限りなき悪循環即ち戦争から世界への分割、更に新たなる戦争から資源領土の再分割という悪循環を断ち切る道は、国内における搾取被搾取の関係、国外に於いても同様の関係を清算したる新たなる世界的な体制を確立すること以外にはありません。即ち世界資本主義に代わる共産主義的新秩序が唯一の帰結として求められるのであります。(戦争と共産主義)


彼が心に描いていたことは、

第一に、日本は独伊と提携するであろうこと
- -
第二に、日本は結局米英と相戦うに至るであろうこと
(結果、日本は国力を完全に消耗し)
- -
第三に、最後に我々はソ連の力をかり、先ず支那の社会主義国家への転換を図り、これとの関連に於いて日本自体の社会主義国家への転換を図ること
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英米帝国主義との敵対関係の中で、日本がかかる転換を遂げる為には、特にソ連の援助を必要とするでありましょうが、更に中国共産党が完全なヘゲモニーを握った上での支那と、資本主義機構を脱却した日本と、ソ連の三者が緊密な提携を遂げることが理想的な形と思われます。以上の三民族の緊密な結合を中核として先ず東亜諸民族の民族共同体の確立を目指すのであります。
- -
私は第二次世界戦争は必ずや世界変革に到達するものと信ずる…
私はこの第二次世界戦争の過程を通じて世界共産主義革命が完全に成就しないまでも決定的な段階に達することを確信するものであります。
- -
その理由は、
- -
第一に世界帝国主義相互間の闘争は結局相互の極端なる破局を惹起し、彼ら自体の現存社会経済体制を崩壊せしめるに至るであろうこと。そして敗戦国家に於いては第一次世界大戦の場合と同様プロレタリア革命に移行する可能性が最も高いこと
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第二に、共産主義国家である強大なソ連邦が存在するという事実、
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第三に、植民地、半植民地がこの戦争の過程を通じて自己解放を遂げ、その間に或る民族に於いては共産主義的方向に進むであろうということ
- -
あくまで今次の世界戦は資本主義社会の総決算たるべき運命を背負ったものであろうと確信しておるのであります。
(戦争と共産主義)

また、雑誌「改造」には、次のような記事もありました。傍証となると思われますので、紹介します。(改造:昭和十五年四月時局版:エドガア・スノウ「スターリンは支那を売り渡すか」)一九四〇年・まだ独ソ戦は起きていません。

(知識人たちはエドガア・スノウの記事を読んでいました。この話題が一般人の興味を引くとはとても思えません。知識人の興味が何処にあったかを、はっきりと示しています)

共産主義者の信ずる所では、ブルジョア国家はさまざまな形態―軍事独裁、議会主義的デモクラシー、ファシズム、等―をとるかも知れぬが、これらの間には何ら本質的差異はないものとされている。にも拘らずコミンテルンは、積極的に敵対的な国と、一時的ではあれ友好的な国との二つを区別し、従ってモスクワ政府が「これら諸国間の矛盾を利用」し、ソ連に向けられた帝国主義戦争を別な方向に転換さすために、そのいずれかと結ぶことも差し支えないのである。スターリンは資本主義諸国間に限られた紛争には何らの異議もない。けだし彼が昨年三月に述べた如く、「第二次帝国主義戦争は一つ或いは数個の国における革命の勝利は導く」こともあり得るからである。従って「帝国主義戦争を内乱に転化し」「ソ連を擁護すること」は、あらゆるコミンテルン支部の義務なのである。
- -
最後にまた帝国主義戦争において資本主義列強がその資源及び人力を消耗し、自国の安全をくつがえし、資本主義文明の最大の成果を無にし、「ブルジョア社会」の完全な道徳的物質的破産をもたらし、内部的に分裂破裂するとの信念に基づいて、「世界革命の最後の勝利」が予言されているのである。
(改造:昭和十五年四月時局版:エドガア・スノウ「スターリンは支那を売り渡すか」)

以上の記述と、また、大川周明等の思想なども合わせて、知識人の考えていたことを要約すれば、大体次のようになると思われます。

一、資本主義体制は、国内的にも国際的にも崩壊過程にある。

二、その崩壊の後に人々を養うことの出来る社会体制は、相互愛(団結と利他主義)の古代共産社会を現代科学の成果によってもたらす社会主義以外には有り得ない。

三、第一次世界大戦の結果、ロシアとドイツが社会主義国となったことが示すように、来るべき第二次帝国主義戦争は、この資本主義体制が社会主義体制に全世界的な規模で転換する決定的なターニングポイントとなる。

四、第二次帝国主義戦争は、米英を含む全ての帝国主義国が参加する世界最終戦争となるであろう。

以上のような分析の結果、日本の進むべき進路が描かれます。

・国内的には、国内新体制の確立
・国際的には、大東亜共栄圏の確立

ともに目指しているのは社会主義体制であることを見逃してはなりません。ですから、米英の手先である蒋介石と和平を締結するというアイデアは浮かぶはずもありません。『蒋介石を相手にはしない』と近衛文麿に言わせた裏には知識人たちのしっかりとした支持があったのです。(現在の日本の知識人たちも同じく、台湾を相手にしていません。完全に無視しています)

特に国際的な関係について考えるとき、社会主義国として生き残るためには、必要な資源が互恵的に相互交換できる緩い社会主義国家連合のような仕組みが必要となることは明らかです。ですから必要な資源の在る範囲を考えるとき、日本が社会主義国として生き残るためには、当然石油が存在するインドネシアをその国家連合に含めなければなりません。(パレンバンの落下傘部隊を単なる日本軍国主義の膨張の末にあると考えるのは間違いです。それは絶対に必要だったのです。もし日本が社会主義を選択しようとするなら)

しかもなお、南アジアの国々は、ヨーロッパ帝国主義国の植民地となっているわけですから、その植民地を解放して、その社会主義国家連合の中に迎え入れることは『社会主義の善の鏡』に照らしても完全な『正義』なのです。つまり、日本がアジアに対して行っていたのは単なる植民地からの民族解放というだけでなく『資本主義からの解放』だったということなのです。

『大東亜共栄圏』は、決して軍人たちが泥縄的に作り出したスローガンなのではなく、資本主義体制が全世界的規模で完全な崩壊局面に在るという、社会主義者の分析に基づく、しっかりとした生き残りのための道筋だったのです。


日独伊ソ四国同盟

多分、日本・ドイツ・イタリア・ソ連による四国同盟という構想は、恐らく多くの日本の一般人ですらいまだに知らないであろうと思われる構想です。

私は最初、鳥居民という人の本で知ったのですが、近衛文麿は「日独伊ソ四国同盟」を構想していました。それは最終的に「日独伊三国同盟」と「日ソ中立条約」という形になります。

この「日独伊ソ四国同盟」の案に対しては、「近衛文麿をはじめとする軍人以外の日本の首脳が、えらく乗り気になります」(昭和史の論点:文春文庫)

首脳たちが乗り気になったのは、おそらく次のような理由からではないでしょうか。

つまり「日独伊ソ四国同盟」とは、「国家社会主義同盟」を意味するからです。

なぜなら、ドイツとソ連は成功した社会主義国と多くの知識人たちに思われていたはずだからです。重要な時代背景として、その当時ドイツとソ連とは「独ソ不可侵条約(一九三九年八月~一九四一年六月」を結んでいたという事実があります。

私は、社会主義になびく知識人の風潮は日本以外でも多く起きていたのではないかと考えます。

映画「サウンド・オブ・ミュージック」は、オーストリアの指導者や公務員(郵便配達人)たちが成功した社会主義国ドイツになびいてゆく様子を示しています。事実として、オーストリアの労働者たちはヒトラーを熱狂的に受け入れました。オーストリア併合(一九三八年三月)

フランスは、ドイツの侵攻後ほとんど反撃できずにパリの陥落(一九四〇年六月)を迎え、社会主義国となります。
この国も日本同様、ロシア革命後は社会主義の理想に燃える国だったのですが、ほとんど抵抗がなされなかったのは平和主義に徹したからだと言われます。
しかし、実のところ知識人が社会主義を選択しようとしていたからなのではないでしょうか?私にはヨーロッパの歴史について語る知識がないのですが、フランスで対独抵抗国民戦線が結成されるのは、その占領から一年も後です(一九四一年五月―独ソ戦が開始されるわずか一ヶ月前)。
つまり、パリ占領時点ではドイツとソ連という社会主義国家同士は敵対していなかったのです。

一九三九年八月の独ソ不可侵条約は、フランスの知識人たちの判断を誤らせたのではないでしょうか?


国内新体制と、大東亜共栄圏が目指すもの

「自由への道」としてわたしたちに約束されていた道は、真実は「奴隷へのハイウェイ」だったのです。
なぜなら、民主主義が計画への進路をたどろうとするとき、結果としてどうなってしまうかを理解することは難しくないはずです。計画の向かう目的地は、何か次のようなあいまいな用語によって描写されるでしょう。たとえば「一般的な生活保護」というような…。
そこでは、到達されるべき終点について、はっきりとした合意がなされてはいないでしょう。
しかし、中央による計画がなければならないという人々の合意の結果として、終点に対しての合意は何も無いにもかかわらず、集団となった人々は彼らが行こうとは思っていなかった場所に向かってする旅に合意しなければならなくなってしまうのです‥結果として、彼らのほぼ全員が、まるっきり欲していない場所に旅しなければならなくなってしまうのです。(ハイエク:農奴への道)
What is promised to us as the Road to Freedom is in fact the Highroad to Servitude.
For it is not difficult to see what must be the consequences when democracy embarks upon a course of planning. The goal of the planning will be described by some such vague term as 'the general welfare'. There will be no real agreement as to the ends to be attained, and the effect of the people's agreeing that there must be central planning, without agreeing on the ends, will be rather as if a group of people were to commit themselves to take a journey together without agreeing where they want to go: with the result that they may all have to make a journey which most of them do not want at all.
Hayek : The Road to Serfdom p.49

もう一つ、大川周明が描いていた日本の道筋を見てみましょう。

次に示すのは、大川周明の思想を表した図です。

維新日本の建設(国内改造)精神生活における自由の実現
政治生活における平等の実現
経済生活における友愛の実現
国民的理想の確立(世界改造)有色民族の解放
世界の道義的統一
『大川周明:大塚健洋:中央公論社より』

気付くようにフランス革命の理想に深く根ざしていることが分かります。
また、多くの社会主義者の理想と類似のものであることが分かります。
しかし、ハイエクの言うように、その到達されるべき終点にはっきりとした具体的合意を形成することは不可能と思われます。
国民には、農民や工場労働者や、軍人やという、あらゆる階層の人々がいるからです。

しかしながら、ハイエクの言うように未来社会の構図を示すことの出来る人々は社会主義者だけでした。そのたった一つの未来社会を示す、社会主義の約束によって日本の未来への道が敷かれていったのです。

ハイエクの『民主主義が計画への進路をたどろうとするとき…』という言葉が、日本のことではないことのように外国の人々は思うでしょうが、日本はすでに一九二八年に普通選挙法(男子全員に選挙権)が施行されていて、国民全員の合意を得る仕組みは出来ていました。
日本はすでに民主主義国だったのです。

しかし同時にその時、思想の潮流はすでに社会主義に向っていました。

誰も教育が財産を有した階級の特典ではなくなったことを残念に思わないでしょうが、財産を有した階級がもはや教養の有る最も良い人ではないという事実と、彼らのポジションを単に彼らの一般的な教育に負う多数の人々が、所有を管理する経済のシステムの働きについての経験を持っていないという事実は、知識人の役割を理解することを重要なものとしています。(ハイエク:知識人と社会主義)
Though nobody will regret that education has ceased to be a privilege of the propertied classes, the fact that the propertied classes are no longer the best educated and the fact that the large number of people who owe their position solely to their general education do not possess that experience of the working of the economic system which the administration of property gives, are important for understanding the role of the intellectual.
Hayek - Intellectuals and Socialism p.110

戦前の日本においては、一流大学を出た人々の多くが、役人となって国家の重要な地位に着きました。彼らのほとんどが富を生み出す経験をしません。また、同じく教師や教授となったりする人々もほとんどが富を生み出す経験をしません。近代国家の宿命とも言えましょうが、ほとんどの上層の人々は、富を生み出す立場ではなく、生み出された富を分配する立場の人で占められます。彼らは国家予算の配分の行方には関心を持つでしょうが、その国家予算を生み出す人々(つまり金儲けをする人々)に対しては冷淡です。

また彼らの多くは、新聞記者や、ライターや、芸術家という、人々にアイデアを売る人々となりました。しかし、彼らが、富を作る人々(金儲けをする人々)を重んじたとは思えません、むしろ軽蔑していたことでしょう。

また彼らは、大会社の重役たちともなりました。恐らくその地位に就いた人々は、富を生み出す経験をほとんどしていないわけですから、自由貿易に基づく資本主義的手法によってではなく、国家の一部に組み込まれて、国家の計画によって利益を得る手法によって会社を運営するようになるのではないかと思われます。

これらのことは、日本の社会に暗い影を投げかけます。

とりわけ社会主義という、計画によって十分な富を生み出すことが出来るという思想に知識人たちが取り付かれたことは、日本において致命的だったのではないでしょうか?




四、本来の右翼より過激だった転向右翼


あなたは「転向右翼」という言葉を知っていますか?

恐らく、ほとんど日本の一般人は、この「転向右翼」という言葉を知らされていません。
なぜなら学校教育では決して教えられないし、多くのその時代を扱った記事の中でも、この言葉を見ることはほとんど出来ません。

しかも、たとえ記述されたとしても、その重要な意味について語られることはなく、ごく特殊な人々(例えば林房雄のような、転向して、元に戻らないで『悪い』右翼のままで残った人々)を非難するためにしか使われません。

転向右翼とは、本来は左翼でありながら、戦争に向う時期、あるいは戦争時に、右翼となった人々を言います。つまり転向右翼とは、左翼に付けられる名前なのです。そしてより重要な事実は『転向右翼は本来の右翼より過激であった』ということなのです。

あの戦争に向って最も大きな働きかけをし、先頭に立って戦争を指揮していた人々が歴史の記述に漏れていたとしたら、あの戦争に対する重要な視点が抜けていると言わざるを得ません。

また、そのことをしっかりと把握しておかなければ、私たち一般民衆は、再び次の戦争に巻き込まれてしまうかもしれません。

しかしながら、多くの研究者は、この事実を知らせようとしないし、その研究に気が進みません。

それも当然のはずです。

転向右翼となったのは彼ら自身(あるいは彼らの前任者)であるからです。


共同研究「転向」

転向の研究は、昭和三十四年に出版の「共同研究・転向」という上・中・下三巻の書物でなされています。ただ、これは左翼の立場で書かれていて、責任を軍部や日本の上層部に押し付けて、共産主義思想を救い出そうとする意図で書かれていることは明白です。しかしながら、もしこの問題を研究しようと(あるいは知ろうと)思うなら、必ず読むべき本であると思われます。

共同研究『転向』


どれだけ沢山の人々が転向右翼となっていたかを知るだけでも重要です。そして誰がなっていたのかということも知ることも。そして、本に載せられた以外にも沢山の人々が転向していたという事実を知ることも重要です。


全ての社会主義国は「転向」する

転向は、日本のあの時代だけにおこった特殊な現象と考えるのは間違えています。なぜなら、現在の全ての社会主義国は転向しているからです。

・ハイエクによれば、ドイツ・イタリアは、社会主義の道をたどって全体主義に到達したのです。彼らは民族主義的ではなかったでしょうか?

・旧ソ連は、侵略的ではなかったですか?民族主義的ではなかったですか?

・社会主義を賞賛するすべての国は、なぜ全てがあのように民族主義的であり、全体主義的なのですか?そして…軍国主義的なのですか?

社会主義者は、政権が社会主義でないときには、反戦主義であり、反民族主義であり、反独裁主義です。しかし、政権を奪取したとたんに、民族主義を餌にして独裁を敷き、隣国を激しく攻撃する者となります。

多くの社会主義国の隣国同士で戦争が起こっていることは、重要な示唆を与えてくれます。ドイツとソ連、中国とソ連、中国とベトナム、中国とカンボジア‥等等。

彼ら全ては「転向」したのです。

社会主義者は、社会主義に向かう過程で全て転向することは、以上の事実から明らかです。それでは、それが日本においてどのような効果を与えたのでしょうか?日本は戦争に向かう時期、社会主義に向かっていたのです。

以前にあげた、図を見てみましょう。彼らが転向した結果次のようになります。

思想団体アナキズムマルクス主義超国家主義社会民主主義陸軍総力戦派革新官僚
一君万民主義
総力戦思想   
社会主義 

そして、より重要なのは知識人たちの転向です。そのことは後で述べます。


転向しても社会主義を目指すことは変わらない

佐野・鍋山の転向声明(昭和八年七月)は、多くの人々を大量転向へと導いたものとされます。それを見れば分かるのですが、転向者は社会主義を捨てたのではありません。反天皇主義(反民族主義・反体制)を捨てただけです。ドイツに起きたことと全く同じではないでしょうか?

彼らは、国民の民族主義、天皇主義を餌にすることによって、ますます自分たちの社会改造を成し遂げる力を得ました。私有財産の制限、統制経済に向かう政策が次々と取られるようになります。大政翼賛会によるドイツとソ連にならったと思われる翼賛選挙は、党の推薦するたった一人の候補者に対して信任投票をするというような制度になってしまいました。同時期『高度国防五カ年計画』が遂行されます。

満鉄の調査部に転向者が多く入り込んでいたことは、前に言及しましたが、そこにもハッキリと計画を見て取ることができます…産業開発五カ年計画(一九三六年)。

調べてはいないのですが、もう一つ満州の開発で特徴的な、満州開拓団は共同農場(ソフォーズやコルホーズ)の思想が原型となっているのではないでしょうか?決して冗談ではなく、社会主義の成功は次のような状況をもたらすと思われていたに違いないのです。

私たちは「それ(社会主義)が発展できる可能性の極限まで発展させて、もし私たちがそうしようと望むならば、私たち全ては王子のように暮らす」ことが出来る。(ハイエク:致命的なうぬぼれ:初期のジョージ・オーウェルの言葉)
we could 'develop it(socialism) as it might be developed, and we could all live like princes, supposing that we wanted to'.
Hayek - The Fatal Conceit p.56


全員で戦争をしていたのだ!

これは(二、三年前の)新聞(確か産経新聞であったかと思います)で見たある画家の言葉です。(産経新聞以外の、あらゆるマスコミはこのような言葉を徹底的に排除しています)

彼は兵士となって戦場に行きました。そして、マスコミが軍人たちばかりを悪者扱いすることに憤慨して表題のような言葉を言ったのです。

「自分たちばかりが、攻撃されるのは道理に合わない」と。

「戦争と共産主義」は次のような序説を載せています。戦後の五年以内に起きた状況です。(十七頁)

街には、赤旗を押し立てたデモ行進が延々と続いている。… … あの日の丸の旗を振り、愛国行進歌を歌って通った何万何十万かの人間は、何処へ行ってしまったのだろうか、また赤旗を押し立て、革命歌を歌い、堂々デモ行進をやっている何万何十万かの人間は、何処から出て来たのだろうか。あの頃―全国民が戦争熱に圧倒されていたいた頃―何処で、何をしていた人々だろうか、と思う。それから静かに考えてみて、大変な事に気がつく。あの戦時中、日の丸の旗を振り、愛国行進歌を歌って通った人間も、いま、赤旗を振り、革命歌を歌って通る人間も、同じ人間ではないのかと。
-- --
(三田村武夫「戦争と共産主義」)

このことは、次のことを意味します。その当時「全ての左翼は、転向右翼となっていたのである」ということを…。いくらか左翼的な考えをする、穏健であると考えられている人々も含めて…。


『知識人の新聞』は最も過激であった

あの『知識人の新聞』が最も過激であったということは、多くの人によって指摘されています。その当時、あの新聞は大いに部数を伸ばしたと言われていますが、その新聞を読む核となる人々が代わったという報告はありません。つまり、あの新聞を読む左翼の知識人(核となる読者)たちは右翼となっていたのです。知識人たちもまた、転向右翼となっていたのです。教育に、マスコミに、文学に、芸術に、宗教に、政治思想に、経済思想に、圧倒的な影響力を持つ、本来左翼である、あの人々が転向右翼となっていたのです。

いつ頃から、知識人たちの転向が起きたのでしょうか?あの『知識人の新聞』は、満州事変を境に変わったと言われます。そのことから考えて、その時、知識人たちが転向したと見て良いでしょう。

知識人たちが全て転向右翼となったのですから、一般の人々にとって戦争に向かう力から逃れることはほとんど出来なかったでしょう。徴兵されて戦地に向かった人々にとっても…。にもかかわらず、全ての責任を負わせられているのは、戦地に行った人々なのです。そして、戦後一貫して最も激しく兵士たちの責任を攻撃しているのは、あの『知識人の新聞』なのです。


戦争を起こした人たち

転向した者たち、特に知識人たちは、本当はあの戦争の性格を考える上で最も重要と思われます。

知識人たちは、初めは左翼でした。そして、満州事変を境にして転向して右翼となりました。転向した右翼たちは、本来の右翼よりも過激でした。そして、敗戦となって再び左に帰って行きました。

この動きを見るとき、彼らは時代の流れに翻弄されて、左→右→左、と揺れ動かされたように見えます。しかし、このことを深く考えてみるとき、次のことに気付きます。

彼らの銃口の照準は、ピタリと米・英に合わせられていて、一度として的を外したことはなかった。

…ということを…。

 ― ここに、あの戦争を引き起こす最も強い動機を持った人々が居ました ―


知識人たちは、彼らの理論にとって文句なしの敵である米・英に向かったとき、激しく軍人たちの尻を叩いて敵に向かわせ、民衆の敵に対する憎悪を掻き立てて、戦意を煽っていたのです。

中国において正面の敵は、蒋介石でした。当時の新聞は、蒋介石のことを非常に悪く言っていた、ということを私は聞いております。米・英は知識人の憎悪の対象ですが、米・英の手先となって彼らをさえぎる者は、より激しい憎悪の対象となるのです。

戦後、日本は安保条約を結んで米・英の陣営に入りました。その安保条約に反対し、米英の側に立った自衛隊を激しく攻撃しているのは、知識人たちと、あの知識人の新聞です。

小泉元首相は、イラクに自衛隊を派遣するとき『靖国神社』に参拝しました。自衛隊の任務の遂行と、無事な帰還を靖国神社の英霊に祈りに行ったのです。このことは現在、靖国神社の英霊は米英とともに戦っていることを意味します(実際は護国の英霊として、日本のために戦っているのですが)。

その小泉元首相の靖国神社参拝を激しく非難した新聞は、あの知識人の新聞でした。(そして中国と、北朝鮮と、韓国の左翼でした)

知識人たちと、彼らの新聞は、戦後、右から左に主張を変えました。左に移ることによって、あたかも戦争から平和に移ったように見えます。しかし、別の次元、すなわち『右と左の対比』ではなくて『自由主義と社会主義』の対比で見るとき、彼らは戦争から平和に移ったのではありません。

 ― 彼らは、あの戦争を続けているのです ―

靖国の英霊も、全ての兵士たちも、銃を措いて、あの戦争を止めたにもかかわらず…。




五、全ては現場責任に転嫁された


従軍慰安婦問題の発信源

全ての発信源は、あの『知識人の新聞』です。そしてその多くが虚報であることは、日本の唯一の保守系新聞によって明らかにされました。それにもかかわらず、虚偽の発信に反応して起きた諸外国の非難に対して、多くの指導的立場の人々が説明をしようとしません。日本放送協会という、日本国民の不利益に対して真実を伝えるべき立場のマスコミでさえ諸外国に対して説明をしようとしません。さらには国民自身にさえ本当の事実を知らせようとしません。

本来なら知識人は、知識を取り扱うことを生業としているのですから、間違った知識に関しては敏感でなければなりません。しかし『知識人の新聞』の読者は、どういうわけか日本軍を非難する場合に限っては全然敏感でないようです。

それは次のことを意味しています。

嘘を真実であると誤解させたままでいたほうが彼らにとっては都合が良い

ということを…。

いくつかの理由があります。

①ある政策に対して責任のある人々は、その政策が成功したときは、それを自分の手柄であるとするが、失敗したときは現場に責任を転嫁する。つまり現場責任を声高に主張する彼らは、あの戦争について責任を取らなければならない立場の人々である可能性が高い。

②虐殺とかレイプとかセンセーショナルな話題を声高に叫ぶことによって、それを中心的な課題であると誤解させ、なぜあの戦争が起きたのかという本当の原因の所在をあいまいなままにしておける。

③虚報を明らかにするのには大変な検証作業が必要である。そのために真面目な研究者を、その問題に釘付けにして、真実の探求の矛先を変えさせることができる。


彼らは何から人々の目をそらせようとしているのか?

彼らは、何から人々の目をそらせようとしているのでしょうか?

あの『知識人の新聞』は一九九〇年代から、従軍慰安婦問題を初めとして、『現場への責任転嫁』となる激しい旧兵士への攻撃(実は保守勢力への攻撃)を始めました。それは、どのような時期にあたるのでしょうか?多くの人は、反論できる人々が少なくなったために、そのような攻撃を始めたのだと言います。多分、そのこともあるでしょう。

でも、もう一つ大切な事実を挙げたいと思います。一九九〇年代は、ベルリンの壁が外され、ソ連が解体された時期に当たるのです。

つまり、知識人の新聞を読んでいる人たちは、社会主義が失敗して行く過程の記事を読むよりも、旧日本軍の蛮行を読むことに熱中していたということになります。それは、人々の目をそらせることともなりますが、実は自分自身の目をもそらせることとなるのです。

彼らは、社会主義が失敗してゆく過程を見たくなかった。その代わりに、旧日本軍の蛮行の記事を一生懸命読んで憎悪を掻き立て、正義の炎を燃やし続けていたのです。社会主義に基づく正義の炎を…。

そして中国に近づき、北朝鮮寄りの意見を言い、韓国の左翼マスコミの片棒を担ぐ意見で、自分の心を満たしていたのです。

私は思います。必ずしも『知識人の新聞』そのものが世論を操作しようとしているのではないのであって、『知識人の新聞』を読んでいる人々がそのような記事を望んでいるのである、と思っています。

そして、いまだに『マルクスに帰れ』というような、歴史的な事実を全く見据えようとしない本が、何事もなかったかのように出版され続けるのです。

旧ソ連邦の崩壊は、彼らの戦後からの活動が間違っていたことを示すに止まりません。彼らが大正デモクラシーの時期から進めていた方向が間違っていたことを示すものなのです。

そのために何と多くの人々が犠牲にならなければならなかったのでしょうか。
何と多くの人々が苦しんだことでしょうか。
犠牲になったのは日本人だけではないのです。




六、ハイエクに帰らなければならない


私はハイエクの本を読む前に『戦争と共産主義』という本を読んで、あの戦争に対する一般と異なる見方を持つようになりました。

そしてハイエクの『ダイジェスト版・農奴への道』と『知識人と社会主義』を読むことにより、私の見方はほぼ正しく、しかも日本に起きたことは、ドイツとイタリアに起きたこととほとんど同じことであった、と思うようになりました。

私の考え方、全てが正しいとは主張しません。しかし、このような見方は当然あってしかるべき見方であると思います。なぜなら私の考えは『あの当時、日本の針路を決めるにあたって最も大きな力を持った勢力こそがあの戦争を起こしたに違いない』という、とても当たり前の考え方なのです。

私が望むことは、全ての一般の人々に、ハイエクの『ダイジェスト版・農奴への道』と『知識人と社会主義』を読んでもらいたいということです。

ぜひとも一般の人々が読まなければなりません。なぜなら、犠牲者となるのは一般の人々だからです。一般の人が、自身で、この本を読まないなら、何度も何度も同じ失敗が繰り返されることでしょう。

さらには、ハイエクの『致命的なうぬぼれ(社会主義の過ち)』(渡辺幹雄訳…致命的な思いあがり…春秋社・ハイエク全集)もぜひ読んでもらいたいと思います。(『農奴への道』も『致命的なうぬぼれ』も一般の人に向けて書かれたものであると私は確信します)

さらに、日本の人々には、ぜひとも『戦争と共産主義』も読んでもらいたいと思います。この本は、コミンテルンの謀略活動に視点を置きすぎていると今は感じていますが、ハイエクの本と照らし合わせるとき、真実起きたことを証[あかし]するものであると思います。

「知識人と社会主義」の序文でエドウィン・フォイルナー・ジュニアが書いています。

明らかに、わたしたちが本当に自由な社会を楽しめるようになるまでには、多くのことが為されなければなりません。そして、それをガイドするものとして、わたしたちはもう一度ハイエクに帰るべきなのです。(知識人と社会主義)
Clearly much remains to be done before we can enjoy a truly free society. And for guidance we should once again turn to Hayek.
Intellectuals and Socialism p.94

私もまた、それを切に望みます。


平成二十年十月十二日(web)




大東亜共栄圏


『大東亜共栄圏』という名称から、漢字の2文字を、ある似た意味の漢字に変えると、次のようなスローガンが出来上がります。

つまり、

『栄』える、という文字を、『和』する、という漢字に変え、
『圏』、という文字を、『国』、という漢字に変えると、出来るのは、

       大東亜共栄圏

          ↓

       大東亜共和国

もしあなたが、社会主義者の言う『共和国』の意味を知るなら、これが、いかに雄大で高潔な理想であるかを知ることでしょう。
そして『どうして知識人たちが、あの戦争に熱中していたのか?』という理由を知ることができるでしょう。








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(c)今西春樹
iharuki@hotmail.co.jp

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