日本に自由主義は存在するのでしょうか?
わたしは学校で自由主義とはどのような思想であるかについて教わったことは一度もありません。また、半世紀を越えて生きて、(書籍も含めて)自由主義者に出会ったことは一度もありませんでした。だから、わたしは現時点で、自由主義については何も知りません。
しかしながら、わたしは最近、フリードリッヒ・A・ハイエクの『The Road to Serfdom』という本のダイジェスト版(Reader's Digest)を読んで大変に感動しました。実は、その前にも(ダイジェと版ではない)この本を読もうとして三分の一ぐらい読み進んだのですが、自由主義の概念について全く知らなかったため、非常に遠い意識の隔たりを感じて、全く理解できなかったのです。
しかし今、その一部を理解することができて、わたしは自分の知ったことを多くの人に伝えたいと思いました。だから、このサイトを立ち上げました。
まず、初めに、ダイジェスト版の中からハイエクの自由主義はどのようなものであるかを研究してみたいと思います。そして、自分がどのように理解し、感じたかについて発表してみたいと思います。
わたしは、自分が自由主義者なのかどうか知りません。また、わたしが自由主義者になるべきかどうかについても、答えは出せません。なぜなら、わたしは自由主義についてよく知らないからです。
でも、ただ一つ言えることは、わたしはハイエクがこの本において示した自由を、そしてハイエク自身が守ろうとした自由を、わたしも守ろうと思います。
私は、ハイエクの自由主義をどのように理解したか?
農奴への道 - The road to serfdom
中世、多くの人々は農奴と呼ばれる階級に属していました。彼らの耕す土地も道具も領主の所有物であり、出来た収穫物も領主のものでした。人々は、領主の所有していた物を、自己の所有するものに移し変えてゆくことによって、自由を獲得したのです。
近世、全ての財を国家が管理することによって、平等で全ての人々が幸福になれる、という思想が圧倒的になりました。しかし、その思想を実現した国においては、個人の財産を国家の側に移すことによって、人々は農奴の地位に逆戻りしてしまったのです。
自由社会の基礎
私たちはデパートにショッピングに出かけようとするとき、必ずしも私たちの手にいれようとする全てを決めている訳ではありません。私たちは、その場に行って全く違うものを買ってしまうこともあるし、あるいは全く買わずに帰ることもあります。また、買うべきものをほとんど決めていたとしても、デザイン、色などは、そこに行ってから決めることの方が多いでしょう。また、全く買うものを決めていないで、何か自分の役に立つものを発見するために、デパートに行く場合だって存在するのです。
実のところ、私たちはマーケットに行って、私たち自身の未来における最も良い機会を買おうとしているのです。あらゆる物ばかりでなく、仕事、教育、旅行、娯楽、それらは自由社会においては、全て市場に投げ込まれているのです。私たちは、自分の持っているお金を使って、あらゆる選択肢の中から、自分にとって最も良い機会を得ることが出来るであろうものを選択しているのです。『自分の力と、自分の意思によって、自分が最も求める自分自身の機会を獲得する』こと、これが自由主義社会における『自由』の基礎を形作っているのです。社会主義は、私有財産と市場を否定しますから、この自由を提供することが出来ません。
豊かな自由社会
また、私たちは市場に、お金を消費しに行くのであると思っていますが、実際のところ私たちは自分の持つお金の最も効果的な使い道を見出そうとしていることに気付きます。つまり私たちは、自分の持つお金が自分にとって最も効果的に働くように行動しようとしているのだ、ということに気付くのです。
企業家が、売価と仕入れ価格の差を最大となるようにして、富を得ようとするように、私たちは支払う額と、それによって得られる価値を秤にかけて、最終的に自身が得られる最大の機会を得ようと、実は行動しているのです。
だから、全体を見ているものにとって消費行動と見えている行為も、実は当の個々人にとっては、自身にとって最大の富を得ようとする行為なのです。この自由主義社会においては、市場に関わる全ての個人が実は富を生み出す行為をしているのです。このような世界が富まないでいるはずがありましょうか?如何に調べようと、このような富を生み出す社会を他に見出すことは決して出来ないことでしょう。
この意味での自由市場は、誰かが計画したり、予測したりして出来たものではありません。多くの人々の『自らにとって最も良い機会を得たい』という行動が、非常に長い年月続けられた結果、より適したものが生き残るという選択進化の法則によるふるいを経て、現在生き残って存在するものなのです。
この自由市場は、私たちの世界に、ごく普通のものとして、そして最も私たちを生かしてくれるものとして、ごく自然に(あたりまえに)存在するものなのです。ですから、この自由な市場を否定する社会は、否応なく、自由市場が出現する前の原始的な世界に、人々を連れて行ってしまうのです。
現代、社会主義への道が密かに舗装されている
重累進課税は、社会主義者が最終的に自分たちの目的を達成するために、控えめに見えるように行い始めた社会主義政策でした。よく考えてみて下さい。そのような金持ちに対する忌避は、いかなる未来にも自分たちが大金持ちになる機会を完全に奪うものであるということを。やがて、人々は小金持ちになることさえ、とてつもなく困難なことになってしまったと気づくようになるでしょう。
もし自分の望む大きな事を行おうとするなら、それ相応のお金が必要なのです。賢十公園林のようなささやかな公園であろうとも、彼が地主の息子でなかったなら決して作ることは出来ないことだったのです。
社会主義は全体主義を呼ぶ
社会主義国のように、個人が余剰なお金を持てない世界では、人々が日常のことを踏み出して仕事を行おうとすると、予算を手に入れなければならなくなってしまいます。
それによって、まず見られることは、激しい政治的な権力争いです。毎日毎日のニュースの大部分は政局を報ずるものとなり、人々の全てが政治に非常な関心を寄せるようになります。なぜなら、政治的な帰趨は予算の方向を決めることとなり、自分が良い仕事を出来る位置に居られるかどうかを決定するからです。また、始めから予算が約束されている公務員の職は人々の羨望する職業となります。
そして、次に起きるのは、人々が自分の生きる目的を、国家の目的に同化させようとする動きです。ただ公に仕えるということのみが、自分たちがより多くの予算を手に入れる言い訳になりますから、人々は国家に仕えることを自分の生涯の目的とし、新聞も教師たちも、それを賞賛します。これらが、全体主義の基礎を形作るのです。
社会主義は戦争を呼ぶ
さらに、社会主義の選択は、最も富を生み出す自由市場を否定することから、急速な経済の衰退をもたらしてしまうこととなり、富を得る道は、他の富を奪うか、他の資源や土地を奪うことによってしか得られなくなります。それは、計画された社会が最も効率的に成果を上げられる戦争を呼ぶこととなるのです。社会主義の方向を目指す国々が、やがてことごとく軍人を最も尊重する戦時体制をとるようになることは、あらゆる事例から明らかではありませんか。
そのようにして社会主義は戦争を呼ぶのです。
計画された社会が最も得意とする仕事はまさしく『戦争』なのです。
ゆりかごから墓場まで
『ゆりかごから墓場まで』、とはドイツにおいて盛んに宣伝されていた社会主義のスローガンでした。
個人の全ての活動を抱擁する政党であることを示す理念「揺りかごから墓場まで」は、彼らの全政策においての見解を導き出すものであると宣言されていました。それは最初、社会主義者たちによって実行に移されたのです。ハイエク:農奴への道 - The Road to Serfdom
しかし人々の行き着いた先は戦場という墓場だったのです。
社会主義は、その約束するものを提供することが出来ないのです。
従って、社会主義者の目的とプログラムは、実際に達成し、あるいは実行することが不可能です; そして、それらはまた期せずして、まるで安売りに掛けるようですが、論理的にも不可能です。 ハイエク:致命的なうぬぼれ(社会主義の過ち) - The Fatal Conceit(The Errors of Socialism) p.7
平成二十年十一月一日